街の将来像を語るのは、市長その人でなければ・・
突如として電波塔が立った!?
これは藤沢市内で見られた実例です。
ある日、自分が住んでいる場所のすぐ近くの民有地に、気がついたら大きな携帯用電波塔が立っていました。
それ以前に、工事の説明もないばかりか、事前の周知すらない、もちろん住民説明会などといったものもありませんでした。
後から分かったのは、民間の通信事業者が合法的に手続きを踏んで設置したということだけ。
しかし、周辺に住む住民たちにとって、「合法ですから・・・」と言われて、「はい、そうですか」で済む話でしょうか?
このケースで最初に起きたのは、住民サイドの怒りではありません、むしろ不安です。
「電波って体に影響がないのか?」、「子どもたちやお年寄りは大丈夫なのか」?、あるいは「電波障害で、テレビや医療機器などに影響は出ないのか」等々でして、ネットで調べれば、「問題ない」という情報もあれば、「危険だ」という情報も出てきます。
どれが本当なのか分からない、そう思うのが自然です。
その後は当然、危険視する反対派と、その設置を許した地主や「問題ない」とする賛成派との対立が生じてきます。
本来、同じ地域で暮らす仲間であるはずの人たちが、いつの間にか敵同士みたいになって分断されてしまうかも知れない・・・、これが健全な地域社会と言えるでしょうか?
また、こうした状況を行政はただ見ているだけで済まされるでしょうか・・・?

行政としてやるべきこと ~ 事後でも果たす役割はある!
以前にも触れました通り、こうした状況に対して行政側は、「民有地の話です」とか、「民間事業者の合法的な行為です」とか、また「市が関与したものではありません」とか言うでしょう。
確かに法的にはその通りかも知れません、しかし住民の不安も、地域の感情的な対立も、行政の目の前で起きている現実です。
行政が傍観者的に「関係ありません」、「口は出せません」と言った瞬間に、行政に対する不信、怒りも益々増幅していきます。
既に進捗過程にある、例えば、宮原地区のモスク建設やこの携帯用電波塔の設置に対し、行政として初動体制を取ることが出来ませんでしたので、事後の対応でその役割を果たすしかありません。
ただし、ここでやってはいけないことは、住民と事業者、あるいは住民同士に解決を丸投げにすることではないでしょうか・・・。
行政としてやるべきことは、まず住民に対して「不安を感じること自体は間違っていない」と素直に認め、住民説明会を設けつつ、事業者にしっかりと説明責任を果たさせ、また専門家を交えて科学的な情報を提供することだと思います。
合法な行為と言えども、地域にどんな影響を及ぼすのかを注意深く見守り、そして調整していくことも、行政の重要な役割でしょう。
しかしどれだけ場を設けても、また説明しても、反対はゼロにならないのが常です。
その時は、反対を力で押し切ろうとするのではなく、反対で残った理由を明確に記録し、また言葉にして残すことではないでしょうか。
「反対があったが、こう判断した」とか、「この点については、最後まで合意できなかった」とか、丁寧で誠実さが相手に伝わるか否かで、行政に対する評価は全く変わってくると思われます。

行政がしっかり向き合うことで成功した事例
市民サービスの向上を目指す行政として、避けて通れない政策があります。
中でもゴミ処理施設、福祉施設、保育所、火葬場などは、どれも社会的に必要である一方で、「自分の家の近くには困る」と言われがちな施設、即ち「迷惑施設」と呼ばれているようなものがあります。
こうした案件に直面した際に、行政の「初動がどうであったのか」、また「事後の取り扱いをどうしたのか」、によってその後の進捗状況は大きく変わっていきます。
行政側はどうしても、「法律に基づいています」、「安全基準は満たしています」「他の市でもやっています」という正論から説明を始めがちですが、住民側からすれば、「なぜ、うちの近くなのだ」という素朴な疑問があって、最初の段階でこの問いに真正面から向き合えるかが、成否を決めるポイントであると言っても過言ではありません。
例えば長野県飯田市では、ゴミ処理施設の建設を巡り、当然ながら強い反対の声が上がりました。
また、東京都国立市や大阪府豊中市における障害者施設の建設計画や、また千葉県流山市での保育所の整備計画などが浮上した際にも、近隣住民から「治安の悪化」や「子どもの不安」、「交通や騒音の問題」など、実際に起こるか否かは別としても、それらを懸念する声が噴出しました。
これらはどれも、総論は賛成だけれど、各論に入ってくると反対という、典型的な例と言えましょう。
このような状況下で、行政はどのような立ち位置に立ったのでしょうか。
先ず何より、行政は事業者の代理人でもなければ、また賛成および反対派の代弁者でもないことを前提にしつつ、双方の調整役を果たしながら、結果に対する責任を取る立場であることを明確にしました。
そして、これらの施設は建てて終わりではなく、運営が始まってからが行政の仕事であるとし、継続して行政が深く関わっていく姿勢を示したのでした。
その粘り強いアクションと説明によって、反対はゼロにはならないけれど、理解だけはしてもらえるという結論に至ったのです。

行政のトップとして、市長は「嫌われ役を引き受ける覚悟で・・・」
住民は本当に「施設そのもの」だけに怒っているのでしょうか?
多くの場合、その怒りの矛先は、
② 責任の所在が不明である
③ 既成事実を積み上げ、逃げ道が用意されている等
住民不在のまま事業者サイドに丸投げしている行政の姿勢に向けてではないでしょうか?
そこで不可欠となるのは、行政のトップとしての市長の存在です。
市長自らが前面に出ることで、上記の①から③の問題が一気に解消されます。
つまり、決めたのは市長であり、説明するのは市長であり、そして責任を取るのも市長、という形で一元化すれば市民にとっても分かりやすくなります。
初動の段階で、市長が前面に立ち、「この案件は職員が決めた話ではなく、市として責任ある判断であること」や、「問題が起きた場合の最終責任は自らが負うこと」を明示し、それを自分の言葉で語ることが、住民サイドに対する一定の安心感に繋がっていくと思われます。
もちろんトップが何でもかんでも、最初から表に立つべきというのではありません。
何故なら、それが民間事業者の主体となる案件でしたらなお更でして、市長が前面に出すぎますと、行政と民間事業者とが結託して結論ありきの話しかしないとの誤解を与えてしまうからです。
したがってタイミングを見計らって、「この事業は民間によるものだが、しかし市として一定の許可を与える以上、住民の不安や疑問を把握する責任がある」、という態度を示せるかどうかで、その後の展開は大きく変わっていくのではないでしょうか。

「この問題を、当事者だけの責任にはしない」という覚悟を示すこと、これは事業者をかばったり、住民に迎合したりする言葉ではありません。
そうした姿勢を市長自ら示すことにより、職員は守られ、住民との対話の線が太くなり、地域が分断されずに済むことになりましょう。
紛糾したときこそ、まさに市長の立ち振る舞いが、自治体の品格を決めることになると言っても過言ではないと思います。

元衆議院・参議院議員:水戸 まさし