高齢ということが危ぶまれた政治家
つい最近、高齢ということが危ぶまれた政治家で著名なのは、申すまでもなくバイデン大統領。
時折、足元がふらつき、あやふやな言動で相手の質問に的確に答えられない、だから認知機能が相当低下しているのではないか、という憶測が飛び交い、バイデン大統領自身、引退を余儀なくされました。
この11月に行われる大統領選挙では、バイデン氏よりも22歳も年下のハリス副大統領を担ぎ上げ、トランプ氏との一騎打ちが予想されます。トランプ氏自身、既に77歳となっておりますので、高齢候補者であることには違いがありません。
確かに政治の世界において年齢的な制約はありませんが、悲しいかな、やはり肉体的かつ精神的な劣化、衰弱は生きとし生きる者、誰しも迎える宿命です。
さまざまな弊害が生じているのも事実
これは何も国や地方を代表する立場の者、いわゆる首長だけに該当する話ではありません。
何度も当選を重ねながら、長く議員生活を送り、既に高齢の域に達している議員。
世間では長老議員などと言われていますが、このような長老議員が幅を利かすことになり、さまざまな弊害が生じているのも事実です。
例えば、新人議員や少数会派所属の議員などに対する同調圧力やいじめが横行したり、また議場や委員会席においても、居眠り、自らの質問事項につき職員へ丸投げにしたり、あるいは質疑ゼロであったり、また欠席の常習犯だったり、「税金ドロボー」と呼ばれてもしかたがない議員は多いと思われます。
とりわけ野党側に見られる傾向ですが、「いつも政府与党に反対するばかりで対案があるわけでもない。
そもそも言っていることが理想論に終始し、はなから実現させようなんて考えていない、そんな政党所属の議員が多すぎる気がする…」。マスコミ連中もしばしばこんな会話をしているようです。
フレッシュな感覚で政治を行うことが必要
今まさに人口減少の時代を迎え、日本の退化に歯止めがかからない中、新たに改革を断行し、日本を刷新していくためにも、既成概念に流されずにフレッシュな感覚で政治を行うことではないでしょうか。
そうした課題解決に取り組むべき政治家が多選・高齢化し、国会そのものが特殊社会になっている現状を改めなければ、我が国の再生および活性化は決して為し得ないと断言します!
日本維新の会:神奈川県12区支部長
水戸 まさし